パパん再捜索!!( ;´Д`) 

2017, 07. 19 (Wed) 23:09

以前、30年振りに再会したおっ父の事をブログに書いた事があった。

今回、また久しぶりに色々話したかったので、何度か電話してみた。


けど、1回も出ない( ;´Д`)

折り返しも来ない。


おっ父は、びっくりするくらい長期間、携帯を機種変してなくてメール未設定だったので、他には手紙くらいしか連絡手段がない。
電話に出ないくらいだから、どうせ手紙なんか書いても返事とか来ないだろう。

おっ父のお姉さんに聞いてみたけど、もう数年連絡取ってない、というか俺と3人で会ったのが最後の接点だそうな。


…また消息不明かいな( ;´Д`)


…という事で、休みが残ってるうちに、おっ父が住んでるはずの大阪に行ってみた。
道中も何度か電話してみたけど、やっぱ出なかった。


おおお、これが大阪かぁ!!!!( ;´Д`)





ハロー大阪!!!!!


おれは!!!!!

かつて!!!!!!!!!!


バースとゲイルと大草原の小さな家に出てくるおっさんが同一人物だと思ってて!!!!!!!!!!

「バースってホームラン打ちまくってピッチャーもやってて週末は大草原で役者までやってて超ヒーローだぜ!!!!!( ;´Д`)」と尊敬してたんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


しかも!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


丸大ハンバーグの巨人(※)も実はバースだと確信してたんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

※参考映像
https://youtu.be/khcOU9rLb5k




よし!!!

今からしばらく!!!!


わては!!!!!

関西人まんねん!!!!!!!!( ;´Д`)




…超失礼だから、やめとこう。
さっさと、おっ父の安否を確認せねば( ;´Д`)

父親の住処へ向かった。


着いた。
ああ着いちゃった( ;´Д`)


1階に、あんまり堅気とは思えない空気を醸し出す事務所があった。
なんだこれ。父親の部屋も1階なんだけど( ;´Д`)
父親の部屋番号が書いてあるポストを見ると、全然違う人の名前が書いてあった。

あり?( ;´Д`)

…と思ったら、父親が住んでるとこは、この建物の裏だった。
あほか俺は。落ち着け( ;´Д`)

回り込んで確認したら、やっぱ裏側の建物だった。

ポストには名札とか付いてない。
部屋のドアにも何も付いてなかった。

いいや、行ったれ!!
ピンポンした。

やっぱり応答がない。
というか、人が住んでない感じがする。。

ポストを開けてみた。
何も入ってない。

道路側からジャンプして、部屋の窓を見てみた。
カーテンがない。
そして、どう見ても部屋はがらんどうだ。

コーポの壁に、管理会社の看板が付いてた。
そこに書いてある電話番号に掛けてみて、ダメ元で事情を伝えてみた。
やっぱそういう問い合わせには応じられない、との事。だよね( ;´Д`)


あ~あ、また行方不明かぁ。


考えられる状況は↓のどれかかな。

1.敢えて黙って引っ越して、電話に出ない
これ以上、俺とかおっ母とかの負担にはなりたくないぜ的な。

2.入院してて出れない
60代の時点でかなりヨボヨボしてて、既に胃も一部摘出してるし、腸閉塞で死に掛けた事もあった。

3.既に死亡してて、電話番号も別の人が契約してる
これだったら、最悪なんだけど( ;´Д`)


帰って後日、役所で調べるか。。

こっちでやれる事はもうない。
うじうじしててもしょうがないので、一旦、頭から追い出して、オペラ観に行った。
ついでに観光しまくった。


- 何か判明したら、つづく -
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パパん捜索9 

2015, 02. 19 (Thu) 00:04

2012年9月13日

叔母さんと2人でお茶を飲みながら、色々話した。

叔母さんはおっ父の姉で、当時うちが困窮してた時に、陰で(おっ父に金使われないように内緒で)おっ母に支援してくれたらしくて、おっ母はこの人にはかなり感謝してた。

おっ父とおっ母が離婚の為の最後の話し合いは、叔母さんの家で行われた。
話し合いの最中は、俺は前述のいとこ達に、近所のハイキング施設に連れてって貰ってたそうな。
その日、叔母さんは、俺の顔を見るのは最後になりそうだからと、写真を沢山撮っといてくれたらしい。

おっ母は、離婚して俺の教育を起動修正する、と主張して、おっ父も合意してくれた。

ちなみに、この時に父方の祖父さんは、不貞寝して、おっ母が切れかけた。
おっ母は、この人の事が大嫌いだ。
俺はむちゃくちゃ可愛がられてて、良い思い出しかないから、ちょっと複雑なんだけど、嫁いびりが相当酷かったらしい。
おっ母は、自分から人に文句つけるような性格ではないけど、反撃に入ると容赦ない。
結果、祖父さんは、おとなしく超絶糞と遊んでるかメシ食って寝てろ的な扱いになって、いつも俺とお遊戯に勤しんでたw
めちゃめちゃ楽しかったww
なので、俺はかなり甘やかされてた。

両親が離婚してから、おっ母の実家で俺の根性を叩き直す事になって、母方の祖父やおっ母に暫くビシバシやられた。
時々、父方の祖父母が恋しくなった。
父方の祖母は、大人しくて上品で威厳のある人で、常におっ母の味方だった。
この人に掛けてもらった愛情は忘れられない。
2人とも他界してる。

尚、両親の離婚後も、俺の根性は叩き直らなくて、小2の時には女の子とガチで喧嘩した上にボコられて完敗した。
母方の祖父は、何て情けないガキだって嘆いて、俺を剣道場にぶち込んだ。
じいちゃんは、自治体のお偉いさんだった。
その伝手でぶち込まれた道場で、しかも、誰よりも厳しくシゴいて下さいとか頼んだらしくて、スペシャルコースのシゴきを延々受け続けた。
毎回、今日こそ殺されると思った。
俺は剣道じゃなくておピアノ習って、エーデルワイスを美しく弾きたかったんだよ。。

でも、母方のじいちゃんは、俺の父親代わりになってくれて、人の在り方を丁寧に示してくれた。
仕事も家事も料理もできて、体罰とかしないし、忍耐強くてユーモアもあって、動物を愛する人、何と言うか、いかにも戦前の男みたいなステレオタイプとは違った価値観で生きてる人だった。
ってか、まだ生きてて、仲良い。
じいちゃん、俺は今だに根性なしでごめんね。

話を戻すと、離婚の話し合いが全部終わって、おっ母が俺を連れて出てくと、おっ父は洗面所で号泣したらしい。
この話は、結構堪えた。

その後、おっ父は日雇いである程度稼いだら、ふらっとどこかに行って何年か音信普通になる、で、また東京に戻って叔母さんに会う、また放浪に出る、って暮らしを繰り返してた。
当時の景気だと、そういう生き方でも余裕で何とかなったらしい。
叔母さん曰く、おっ父を分かりやすく喩えるなら、芸術家から芸術に関わる全てを欠落させたような人だって。最悪www

俺はおっ父も好きだけど、両親が離婚しなかったら、父方の祖父→おっ父→俺、というふうに、負の連鎖を目一杯受け継いじゃってただろうな。
想像するとゾッとする。
今だって微妙なとこが多々あるのに。
彼等が離婚してくれた結果、かなり恵まれた環境で育ててもらえた。
若い頃は、自分の資質や努力の結果、今の自分があるとか過剰な自信を持ってたけど、色んな大人の決断や努力の結果、与えられた部分が多いんだな、って思った。
おっ父とおっ母の選択に心底感謝してる。

叔母さんとおっ母は、いずれ再会するかも知れない。
おっ父とおっ母は、絶対無理だw
おっ父を連れてったら、2人とも首絞められるww

それからまた数ヶ月、2013年になった。

おっ父に貰った腕時計の事を思い出した。
既にお気に入りの腕時計を持ってるので、おっ父にもらった方は、バンド調整だけして、しまったままだった。
歳取ったら使おうと思ってた。
でも、軽くて薄くて正確だから、仕事の日はたまにこっちも着けようかな、と思い直した。

箱から腕時計を出したら、針がギューーーンって回り始めた。
ソーラーパネル式の電波時計が光に当たって動き出した、ってだけなんだけど、動き出した瞬間に思考が止まって、意識が視界だけになった。
暫く針が回ってて、その間ずっとその動きに見入ってた。
解釈しようとすると色々くだらないけど、鮮明でドキドキした。

全部、本当の話。おしまい

パパん捜索8 

2015, 02. 18 (Wed) 00:08

おっ父と再会してから半年以上、お互い何にも連絡しなかった。
あの再会でお互い結構満足した、というのもちょっとあるけど、どっちかっていうと何かアクション起こしずらい心境になった。
それに、再会するまでの間で結構疲れたので、おっ父の事を考えるのを先送りにしてた。

関係ないけど、この時期にモル作を買った。

2012年8月31日

おっ父から電話が来た。
曰く、来月、東京に行く用事あるから、予定空いてる日を教えてくれ。
9月6日が休みだから、11時に待ち合わせる事になった。

多分だけど、5日が俺の誕生日だからだろうな、って思った。

当日、おっ父とお昼を食べた。
誕生日プレゼントに腕時計をくれた。
セイコーの電波時計で、ちょっとかなり相当にデザイン渋すぎだったけど、30年振りくらいにプレゼントを貰って、嬉しかった。
爺さんになったら使おう。

それから1時間くらい話して、そろそろお店出よっか、という事になった。

で、そのまま解散って感じになった。
おっ父はその後、おっ父の姉、つまり俺の元叔母の家に行くとの事。

おっ父の姉には、娘さんと息子さんがいて、2人とも俺よりだいぶ年上。
小さい頃、とても可愛がってくれた。
特に息子さんは、俺が生まれた時に、弟ができた(正確には従弟)と言って、とても喜んでくれて、以来、会う度に何らかのおもちゃをくれた。
俺もかなり懐いてた。

娘さんの方は、当時中学生で、ガキんちょでも分かるくらい綺麗な人だったから、何か恥ずかしくていつも走って逃げ回ってた。
で、毎回、部屋のコーナーに追い込まれて捕まった。

「はい、つかまえた~w」

「うわあああん!(号泣」

周りはゲラゲラ笑ってて、俺はいつも本気でムカついてた。
なので、娘さんとはあんまり一緒に遊んだりって感じじゃなかったけど、毎回声を掛けてくれてた。

5歳の頃までの話だから、もう30年以上会ってなかったけど、みんなの事はよく覚えてた。

なので、おっ父についてく事にした。

綺麗なマンションだった。
玄関のドアが開いて、俺が挨拶すると、叔母さんは目と口を大きく開けたまま3秒くらい固まってた。
後に、おっ父もアポなしだったと判明した。

叔母さんは、身綺麗な人だった。
再会をとても喜んでくれて、俺が小さかった頃の写真を見せてくれたり、当時の事を色々話してくれた。

姉弟さんたちの近況も少し聞いた。
特に不自由なく、幸せに暮してるそうな。

会えなくなってからも、時々俺の話題が出て、今頃は何してるんだろうね、とよく話してたんだ、と言ってた。
子供のうちに離れ離れになったせいか、そういうふうに思い出してくれてるって想像をした事がなかったので、それを聞いて、もっと早く再会しとけば良かったなぁ、と思った。

また、ご飯食べよう、って事になって、叔母さんと連絡先を交換した。

おっ父は、ありがとな、と言って、大阪に帰った。

次がラスト。

パパん捜索7 

2015, 02. 17 (Tue) 00:22

2012年1月26日

起きたら、不安な気分は晴れてた。
でもちょっと寝坊して、急いで支度をして待ち合わせ場所に向かった。

待ち合わせ時間の30分前に電話が掛かってきた。
もう着いたらしい。
今向かってるから、適当に時間潰してて、って言って切った。
後々分かったんだけど、おっ父は物凄い古い携帯の機種を使い続けてた。
メール機能なし、通話品質も大分劣化してて、人混みだと俺の声は殆ど聞こえないらしい。

駅に着くと、また着信があった。
改札前にいる、との事。

むすこ「今そっちに向かって歩いてる」

パパん「…改札前にいるよ」

むすこ「うん、今行くからちょっと待ってて」

パパん「…改札前だよー」

むすこ「うんうん、もうすぐ着くよ」

パパん「…あ~、改札前にいる」

むすこ「…もしもーし」

じじい「…だから聞こえねーんだよ!」

おれ「…いいからそこで待ってろよ!ぷつっ、プー、プー」

いきなり険悪ww

生まれて初めておっ父と喧嘩www

そんなの憧れてないしww

wwwww

改札に着くと、おっ父がうんこ座りで下を向いてた。

待ち合わせの時にお互い顔がわかんないかな、とか心配だった。
確かに記憶してた風貌とはだいぶ違ったけど、ひと目で分かった。
おっ父は、身長180cmくらいの細っこい老人だった。

お待たせ、と言うと、おっ父も笑顔を返して来た。
2、3言、交わしたけど、何話したか全然覚えてない。

おっ父が火の点いたタバコを持ってる事に気づいた。
今時、改札前で当たり前のようにタバコを吸ってる。まじかよ。
慌てて、喫煙所に連れてった。
喫煙所で話してるうちに、お互いの顔と会話に慣れてきた。
それから、昼食に向かった。

昼を食べてると、おっ父の歯がだいぶなくなってることに気づいた。
もしや、蛇のようにメシ丸飲み…?( ;´Д`)
と思ったら、奥歯で噛んでて、ホッとした。
入れ歯作らないの?と言うべきか放置すべきか判断つきづらかったので、スルーした。

話題には全然困らなかった。
よく考えたら、俺よく喋るし。
おっ父は最初、俺の顔を見ても息子だって分からなかったみたい。
俺は一瞬で分かったぞこのヤロー。

お互いの現在の暮らしや健康面、親戚の話、あとはここ30年間の出来事を話した。
それから、やっぱり俺がその後にどう教育されてどう育ったとか、成長の過程を知りたいだろうな、という押し付けがましい予測を基に、時系列で色々と話して、たまにおっ父が何か質問して、って流れが続いた。
超絶糞ダイジェスト、みたいな。
前年の秋に食中毒になって、血塗られたうんこを漏らした事は伏せた。
中1の夏休みに、のりピーが夢に出てきて無精してめでたく精通、そのパンツを履いたまま翌日からキャンプに行って、2泊3日、パンツを替えずに過ごしたという事も、もちろん話さなかった。
乾燥して枯れ葉のようにパリパリになってたから、臭くはなかった、と思いたい。
そういう事は話さなかったけど、おっ父が頻繁に涙ぐむから、気恥ずかしかった。

時折、ちょっとした癖や気質的な部分で、ああ親子なんだな、と思った。
顔とかあんまり似てないけど、気質や感受性の一部で、なるほど、元はこの人か、ってかんじた部分が幾つかあった。
良くも悪くも。
ずっと一緒に暮らしてたら、結構な影響を受けただろうな。
おっ母が離婚したのは、俺の育成の為でもあったって言ってた事に納得した。

おっ父が大阪に引っ越した経緯や現在の生活環境は、殆ど予想通りだった。
でも、予想よりも少しゆとりのある生活をしてて、俺はかつてない位、世の中に感謝した。
自治体の健康診断も定期的に受けているとの事で、特に持病なし。
過去には胃潰瘍で胃を摘出したり、腸閉塞で死にかけたりもしたみたい。
「死に損ねた」という言い方をしてた。
歯は抜けまくってるし、ひょろひょろだし、まだ歩けるけど、足腰はだいふ弱い感じ。
何て言うか、まだ60代の癖に、何でこんなに生気がないんだろう、と思って切なくなった。
でも毎日、それなりに楽しく暮らしてるっぽいし、今後は今よりは孤独じゃなくなる、ようにはしたいと思った。
とりあえず、せっかく会えるようになったんだから、長生きしてくれって言っといた。

おっ父は、誕生日にいきなりお前から手紙が来て、むちゃくちゃ驚いたよ、って言ってた。

何年か前に、おっ父がおっ母の実家に電話した時に、おっ母の弟嫁さんが応対して、そしたら2度と掛けて来なかったって話について。
おっ父に会う前に、その弟嫁さんに当時の話を聞いてみてた。
そしたら、実はちょっと違ったらしくて、おっ父は再度、電話を掛けて来てた。
で、おっ母の弟が「あんたなぁ、どれだけうちらに迷惑掛けたと思ってるんだ。もう2度と掛けて来るなよ」と言ってガチャ切りした。
実際、おっ父は母方の親戚にもこっそり金の無心に行った挙句に踏み倒してた。
おっ母は離婚後、何年か経ってからそれを知って、慌てて全部返した。
なので、叔父がガチャ切りしたのは当然だった。
この事に対して、おっ父に肩入れする気はないし、逆におっ父を責めるつもりもなかった。
ただ、おっ父に会う前に、叔母さんにその旨の報告と、母方の誰をも裏切るような事はしないって説明はしといた。

おっ父は、そのガチャ切りで、もう一生会えないな、と思って完全に諦めたらしい。
そしたら、何年か経ってから俺から手紙が届いたから、心底驚いたらしい。

手紙を出した時、おっ父の誕生日なんか知らなかった。
おっ母も、俺に教えた覚えはないと言ってた。
何かの書類で見た、って記憶もない。
世の中、こういう類の偶然って意外と沢山あるんだろうな。
でも、この偶然が、彼にとって少しでも救いになってるって願いたい。

で、知ったからには何かプレゼントあげなきゃな、と思ったので、前日に買っといた。

むすこ「こないだ67歳になったでしょ」

パパん「いや、64歳だよ」

むすこ「あれ、そうだっけ。1945年生まれだよね」

パパん「うん、1945年」

むすこ「で、今は2012年だから…」

じじい「そうそう、だからこないだで64歳」

おれ「…そっか。。だよね。はいプレゼント」

67にもなると、引き算もできなくなるのかよ、と思った。

だがしかし、後に俺も自分の歳を本気で間違える事になる。
http://morusaku.blog.fc2.com/blog-entry-53.html?sp

おっ母の教育は、ちょっと失敗した模様。

男同士のサシで、ラッピングされた誕生日プレゼントを上げる、っていうのは本当に気色悪かった。
プレゼントはカルバンクラインの腕時計で、安物だったけど、デザインがかなり好きで、本当は俺自身が欲しかったやつ。
おっ父は喜んでくれた。

結局、昼過ぎに会って、夕方には解散した。
最後に改札で握手した。

それから、ちょろっと買い物してから、おっ母の家に寄ってひと通り報告した。

おっ母は、離婚して重圧から開放されれば奴も生活を立て直せる事だろうと思ってた、何て情けない奴だ、ってちょっと切れかけてた。
でも、何とか生きて行けてるって事にはホッとした、と言ってた。

自分の部屋に着いたら、身体がずっしりして、暫く動けなかった。

もう少しつづく

パパん捜索6 

2015, 02. 16 (Mon) 20:09

1月26日に休みを貰って、おっ父と会う事になった。

似たような経験をした奴がいるので、参考までに色々聞いてみた。

そいつは前の会社の元部下で、当時いた会社は、2.5人分の予算で4.5人分の工数の仕事をやらせるようなとこだった。
納期もキツキツだったから、常に月300時間労働だった。
俺は別に仕事の処理能力が優れた訳じゃなくて、別に普通だった。
上の連中に従順そうで、部下との間に挟まれてくれそう、理不尽な事でも部下を適当に丸め込んでくれそう、鬱病にもならなそう、みたいな理由、ようは社畜として使いやすいって理由だけで昇格した。
なので、そんな何人分もの仕事なんか片付かなかった。
睡眠時間がなさすぎて、常に胃に穴が空いてた。
胃薬も受け付けなくて、帰り道で吐きながら歩いてた。
そんな事ばっかり続くと、精神状態がどんどん高揚して、休憩時間にそいつとシモい事ばっかり話したり、2人だけで打ち合わせする時に、お互いギャルっぽい口調だけで専門的な話をする、とかふざけた事ばっかりして、いつもゲラゲラ笑いながら仕事してた。
業務は何とかなったけど、さすがに癌になると思って、仕事が終わったタイミングで転職活動して辞めた。
確かに鬱病にはならなかった。
でも辞めた頃には、免疫力が下がりすぎたんだか何だかで、あっさり食中毒になった上に全然治らなくて、下血が1ヶ月間、続いた。

結局、他の部署の中間管理職もその年に全員辞めた。
部下だった奴も殆ど辞めた。
辞めた後も仲は良くて、たまに飲んだりする。

逃げ込んだ先の会社は、めちゃめちゃ緩くて、しかも休みだらけ。
なので、ピアノの練習ばっかりしてるw
先週、売却されて親会社変わっちゃったけどww

話を戻すと、似たような経験、ようは大人になってから生き別れの親と自ら再会、って経験をした事がある奴に、どんな気分だったか、とか聞いてみた。
曰く、空白期間が長い(そいつは25年くらい)、ようは共有してた時間が短くて、接点が全然なかったから、やたら気まずかったし、話題にも困ったらしい。

自分の場合、話題は特に困らなそうな気はしたけど、親なのに今の風貌とか言動の想像がつかないし、おっ父は俺が大人になった過程を全く知らない。
俺も彼がその後、どうやって生きてきたかを知らない。
でも長年、父親っていうぼんやりとしたイメージが頭の中に住み着いてはいたから、その(親)っていう事と、(実際は遠い遠い親戚と同程度の接点しかなかった人)って事の差が意外と不安感を煽って、数日間、凄く気分がもやもやもやもやした。
楽しみではあったんだけど、今まで経験した事がない説明しづらい気分が、会う前日まで続いた。つづく

パパん捜索5 

2015, 02. 15 (Sun) 01:15

2012年1月20日19時20分

おっ父から電話が来た。

仕事中だったから、後で折り返すって言って一旦切った。

その後もまだ仕事中だったけど、掛け直して数分話した。
おっ父の声はしわがれてて、年月を感じた( ;´Д`)
父方の祖父の顔が浮かんで、その祖父と話してるような気分になった。

暫くして、仕事がひと区切りついたので、同僚に少しだけ事情を話して抜けた。

「あ、すいません、30年間生き別れだった父から電話が来たので、20~30分席外して掛け直したいんですけど、いっすかw」

「…お、おぅ…え、え?え??まじすかw」

「まじですw」

「…そっすか。まぁ1時間くらい良いんじゃないですかね…え、まじですかww」

「超まじですwwじゃ、行ってきまーす」

で、20分くらい電話した。

お互いに少し気まずくて、おっ父は敬語だった。
途中で間怠っこしくなってタメ口に変えたら、おっ父も緊張が解けてきたみたいで、少しずつ口調が柔らかくなった。
でも何か、俺とおっ母に負い目を感じてるのが分かった。

おっ母の話題になった時、苦労ばっかりかけちゃったなぁ、とため息をついてた。
おっ母に対する過去は、今更償う機会なんかないし、機会があったとしても償えるものでもない。
当時の俺自身は家の経済事情を知らずに、のほほんと育ったので、嫌な思い出は殆どない。
彼が悔やんでいるだろう過去は、今更どうにもならないものばかりだから、気休めだけど「30年も前の事は気にしなくても大丈夫だよ」と言ってみた。
楽になったのか、傷口に塩をぬりぬりしちゃったのかは、分からない。

色々と雑談しているうちに、彼の口調もかなり明るくなった。
会話のぎこちなさもなくなった。

で、月末か翌月の頭に一緒にご飯を食べよう、と話した。
東京に来てくれるとの事。

翌日。
さすがにおっ母に内緒のまま、おっ父に会うのは感じ悪すぎだろう、って事で、逆なでしないように気をつけつつ、報告した。

居場所を突き止めた事、手紙を出した事、無事に届いて電話が来た事、近々都内に来てもらって食事をする事、母や親戚の生活に踏み込ませない事、それから、自分の正直な気持ちとして、彼が長年感じてただろう重苦しい気持ちをある程度解消させたい事。

おっ母の答え。

奴があんたに会う資格はない、ないんだけど、あんたは奴に会う権利がある、ちょっと胸糞悪いのは事実だけど、会ってきなさい、
あと、会う時は、品川区から1mでも遠くにしてくれ。

話がひと通り終わると、おっ父と別れる前の話を雑談的にしてくれた。

それから、おっ父から俺に連絡が来た時の話になった。

「そういえば、奴から電話が来たのは昨日だっけ?」

「うん、夕べだよ。昨日手紙が届いたって言ってた」

「昨日は奴の誕生日だよ」

「え、え、え、はい?え?」

「本当本当。知らなかったでしょ?」

「…全然知らんかった」

「うん、教えた事なかったし」

「…凄い確率だ。365分の1だよw」

「30年間でちょっとは反省したって事なのかもね。良い誕生日プレゼントになったね」つづく

パパん捜索4 

2015, 02. 14 (Sat) 18:11

2012年1月17日

おっ父の住所が分かったので、手紙を書いてみた。
以下、名前と連絡先以外は原文。



父へ

超絶糞です。
戸籍を辿ってこの住所を知りました。

随分と時間が経ってしまいましたが、できれば再会して、一緒にご飯を食べながら、募る話をしたいと思い、連絡しました。
母(退職して元気に暮らしてます)が近所に住んでいるので、住所はまだお伝えできませんが、私の携帯番号とメールアドレスをお伝えします。

携帯番号 (´∀` )-(´∀` )-(´∀` )
携帯アドレス (´Д` )@(´Д` )(´Д` )
PC用アドレス (´Д`; )@(´Д`; )(´Д`; )



とりあえず、簡潔に書いてみた。
で、出した。

おっ父の住所は、集合住宅の部屋番号らしい数字で終わってた。
ググれカスしてみると、激安の賃貸ワンルームだった。
経営がやばくなる前は、小腹が空いたって言って夜食にお寿司の出前を頼んだりしてたらしいから、随分質素になったんだなぁ、と思った。
ま、そりゃそうか。

想像だけど、父方の祖父母は多分、他界してる。
その後、俺の母方の叔母に一度電話してから、平成19年(2007年)の秋に大阪に引っ越したんじゃないかと。

叔母に電話した時に言っていたらしい言葉をもうちょっと詳しく書くと「暫く東京を離れてた。また離れる。もう先は長くないので、息子に会いたくて電話した」との事。

離婚する前、おっ父は多数の親戚や兄弟からお金を借りていたらしい。
みんな、東京やその近辺に住んでいた。

親族に総スカン喰らって大阪に行ったんだろうな、と。
何となく、生活保護とか受けてる気もする。
離婚した時点でニート歴数年だったみたいだし、労働とかできないタイプなんだろうな。
再婚して新しい家庭を、とかもないだろう。

違うかもしれないけど、その時点で持ってる情報や逸話からリアルに想像できるのは、上記のような感じだった。

そんなことを考えてたら、泣きたくなった( ;´Д`)

実際に見た訳じゃないから完全に偏見なんだけど、まぁ偏見通りだとしても、それが本人にとって不幸な事かなんて分からない。
社会的にあるべき姿みたいなのは、重荷にしかならないって感じ方の人は結構いるし、先入観はあくまで先入観で、もし今、笑って平穏に過ごせてるんだったら、それで良いかな、とか思う。
まぁ幾ら親だからって、願望を押し付けるのもなぁ、みたいなのもどうかと思うし。

でも、それは今思える事で、当時は陰鬱な感情しか湧かなかった。

手紙を出してから、気分がずっと落ち着かなかった。
あれで、ちゃんと届くのか?
実際はあの住所から更に引っ越してて、面倒くさくて住所変更してないとか、超あり得るし( ;´Д`)
そしたら、興信所行きかぁ。。

ひとまず、当面は連絡を待つ事にした。つづく

パパん捜索3 

2015, 02. 13 (Fri) 11:21

おっ父の写真を入手して、色々思うところが出てきたけど、特に何にもしないまま、何ヶ月か過ぎた。

2012年1月16日の事。
この日の事は、全部記録してある。

前日から朝まで仕事だった。
で、仕事を上がったら、唐突に、おっ父を探そうと思い立った。

少し前に、実の子供は両方の親の戸籍だか現住所だかを辿ることができる、という事を知った。
離婚して籍を抜いた方の親でも。
住基ネットありがとう。
なので早速、品川区役所に行ってみた。

品川区役所の窓口で、職員と向かい合った瞬間、身体が震え始めた。
胃から、嫌な空気みたいなのが込み上げて来た。
意外だった。
おっかない客多数の前で苦しいプレゼンテーションした時より緊張してる。

品川区役所の職員のおっさん曰く、俺の本籍は千葉県市川市になってる。
なので、市川市役所に行け。
そういえば、そっちに住んでたんだっけな。。

で、市川市役所に向かった。
午後1時に着いた。

市役所で職員に用件を伝えたら、戸籍証明書等の交付申請書というのを書くよう指示された。
書いて提出したら、俺じゃなくて、おっ母の本籍地の役所で聞かないと分からん、と。

おっ母の本籍地は、現住所でも直前の住所でもなく、離婚直後に俺を連れて帰った実家のある、××区だった。
今度はその区役所に向かった。
15時に着いた。

その区役所で、改製原戸籍とかいう書類を渡された。
両親の離婚当時の戸籍が書いてある。
おっ父は、文京区に登録されてた。

今度は文京区役所。
スーツが臭くなってきた。
おっさん臭ってどうにかならないのかな。

16時半、文京区役所で、附票全部証明とかいう書類をもらった。

おっ父の現住所は、大阪だった( ;´Д`)
平成19年(2007年)の秋に引っ越した模様。

夜には再会して一緒に夕飯食べてる位の勢いだったので、落胆した。
東京を離れる事になった、って話は聞いてた筈なのにw
どうせ東京に戻って来てるだろう、と決めつけてた。
しかも、衝動で動いてて、下調べなしだったから、盥回しになった。
盥回しの挙句、大阪かよ、みたいなw

完全に自分の不手際で、しかも本当はどうって事ない事実なのに、窓口で頭を抱えてしまった。

俺が中々帰ってくれないので、職員が言った。


あ、あの、お手紙とか出されれば良いんじゃないですかね…


…て が み てがみ 手紙…!

!!!

wwwww

そっか! 手紙かぁ(笑)


そ、そうですよ!お手紙ですよぉ(苦笑)


何笑ってんだこいつ、と思った。
別に全然悪くないのにw

とりあえず、おっ父はまだ生きてるみたいで安心した。つづく

パパん捜索2 

2015, 02. 12 (Thu) 00:12

おっ父の写真をげっとした翌年、2011年におっ母から聞いた話。

更に遡る事、数年前、おっ父がおっ母の実家に電話してきたそうな。

東京を離れる事になった。老い先も短いので、我が息子、超絶糞に会いたい、と。

電話に出たのは母方の叔母。
超絶糞のおっ母に聞いてみなきゃ判断つかないので、後日改めて電話してくださいな、とあしらったみたい。

以降、おっ父からの電話はないんだそうな。
初めて聞いた時は、何て根性なしなんだ。。と思った。

後々聞いたら、この話にはちょっと嘘があった。
でも、これを切っ掛けに、こっちから探し出しとかなきゃ、と思った。

彼が営んでたお店とテナント業は、俺が生まれて半年後に倒産した。
で、一家で夜逃げした。
おっ母が、俺用のミルクを回収しに、俺をおんぶしながらマンションの裏口の階段から部屋に向かった時は、生きた心地がしなかった、と言ってた。
俺が目を覚まして泣いたらアウトだったかも、と。

その後、おっ父は全く働かず、競馬三昧の借金三昧だったそうな。
よく業者は毎月毎月、金貸したな、と思う。

おっ母は、丸投げされた家事と育児をこなしつつ、彼とその両親、俺、計5人分の生活をパートで賄った。
俺はその頃は祖父に、仮面ライダーのヘルメットを買ってもらって、ヒョー!!とか言ってたりしたんだけど、それもパートの給料から出てた、と後々知って、血の気が引いた。
そんな生活を数年続けた。

で、俺が5歳の頃に離婚した。
俺の事はおっ母が引き取った。
慰謝料なし。
養育費なし。

おっ母は、おっ父の顔だけは二度と見たくないというような事を何度か言っていた。
そりゃ、そうだ。

そんな経緯があるので、会ってみたいなんて、おっ母には言えなかった。
でも、とりあえず彼が死ぬまでに、再会しときたいと思った。
でも、内緒は駄目だ。
会う前までの、どこかのタイミングで言っとかないと。

おっ父は、その後も碌でもない生活を送ってる可能性が高いし、30年を経て、駄目駄目さに磨きが掛かってる可能性が高い。

なので、再会したとしても、距離(年に1回ご飯食べる、みたいな関係を望んでた)を保って、おっ母の個人情報は死守しなきゃ駄目だと思った。
まだ借金大魔王な可能性だってあるから、金銭的な関わりも皆無にする意志を保たなきゃ、とも思った。
おっ父だって俺的には確かに親なんだけど、だからって流されちゃまずい。
おっ父が原因で俺が苦労したら、それはおっ母や親戚の、いろ~んな努力を踏みにじってるようなもんだし、とか。

ようは、共依存的な要素は全部排除したかった。
冷たいとか暖かいとか、こだわるとかこだわらないとか、そういう問題じゃなくて、再会が原因で不幸になる人が出るくらいなら、会わない方がマシだと思った。つづく

パパん捜索1 

2015, 02. 10 (Tue) 20:33

この話、長いよ。テンション低いよ。
はい、スタート。

2010年に、旗の台って街に引っ越した。
5歳から中学校卒業時まで暮らしてた下町に、街並みが少し似ているなぁ、と思った。
しかもこっちは、凶暴そうな若者やおっちゃんも見かけないし、治安は遥かに良さげ。
駅周りは鬱陶しくない程度に活気があって、電車ですぐの自由が丘や大井町も、歩いてて楽しい。
この街が凄く気に入った。

で、前年に退職して隠居生活に入ってたおっ母に、近所に引っ越して来れば、って勧めてみた。
いざとなった時にすぐ駆けつけられるし、って。

おっ母は基本的に人嫌いで、一人で本やテレビをひたすら観てるのが好き。
なので、いざという時に駆けつけられる程度の距離が、お互い、ちょうど良かった。

おっ母は結構喜んでた。
で、約3ヶ月後にこの街に引っ越して来ることになった。

引越しの片付けを手伝っていた時のこと。
とても無機質な口調でおっ母が言った。

「このアルバムに入れてある写真で、欲しいのがあったら持って帰りなさい。残ったやつは全部捨てるから」

アルバムは全部で数冊あった。

1冊目を開くと、若い男女が、穏やかに微笑んでる。
おっ父とおっ母の結婚披露宴の写真だった。
俺はおっ父の顔を忘れてた。

彼が写っているのは、結婚写真から俺が保育園年長に上がるまで。
保育園年長の時に、彼らは離婚した。
おっ母は俺を連れて実家に帰った。
以降、どっちもおっ父に会ってない。

今回の引越しを機に、おっ父が写っている写真は全て処分するとのこと。
何年も前に処分した写真もたくさんあるみたいで、アルバムには、写真を剥がした跡が幾つもあった。

写真に写ったおっ父の顔を長い時間、眺め続けた。
これが噂に聞いてた父親なんだな、と思った。

おっ父は、元ボクサーの薬師寺保栄氏を病弱っぽくしたような風貌だった。
おっ母に似た事に心底ホッとした。

それまで彼は、視界からの情報は全然なくて、親戚内の噂として耳から入るだけの存在だった。
噂話はどれもこれも碌でもない内容だったけど、お陰で全体像は鮮明になってた。

★祖父の経営を継ぐのが嫌で、シンガポールに逃亡留学した。

★帰国後、祖父にごめんなさいして、コネで政治家の秘書になった。

★おっ母とお見合い結婚した。

★バブル経済狂い咲きの時代なのに、祖父から継いだ酒屋とテナントの経営に驚異的な早さで失敗して夜逃げして、しばらく一家で都内を点々と逃げ回った。
(経営責任者はまだ祖父だったから、祖父が自己破産してからは、借金取りは来なくなった)

★親戚のコネで就職⇒数ヶ月持たずにこっそり退職⇒競馬にはまる⇒サラ金で借りた金を給料の振りしておっ母に渡す⇒何かのきっかけで退職がばれる⇒誰かのコネで就職…という糞ループをひたすら繰り返した。

★婚約指輪と結婚指輪を勝手に売り払った。

★兄弟や親戚にお金を借りまくって踏み倒した。

★おっ母の親兄弟にお金の無心をしまくって、やっぱり踏み倒した。

★おっ母の口座(独身時代の貯金と祖父からの結婚祝い)から100万円以上を勝手に引き出した。

上記をもっと生々しくしたような話を幼少の頃から散々聞かされてた。

なので、母方一族は、30年経った今でも、彼を物凄く嫌悪している。
特に祖母の怒りは尋常じゃなくて、俺は幼少時代、祖母に結構イビられた。
お前は奴の血を引く糞ガキだ!みたいな。
飛ばっ散りだと思ったけど、娘を不幸にしやがって、みたいな抑えきれない怒り、割り切れない、コントロールできない感情ってのはやっぱりあったんだろうし、他にやり場がなかったんだと思う。

…アルバムをしばらく眺めた後、もらう写真を4枚選んだ。
全部、結婚披露宴の時の写真で、実際に彼が写っているのは、2枚。
残りの2枚のうち、ひとつは父方の祖父が参列者にビールを注いでいる写真。
後の経営の破綻は、実際は彼の責任らしく、更に嫁いびりする祖父だったらしい。
なんだけど、俺自身にとってはめちゃめちゃ優しい祖父だったので、葛藤しつつも写真げと。
もうひとつは、彼が経営していた酒屋の従業員(倒産後、アル中になってのたれ死んだらしい)で、むちゃくちゃ人相の悪い人の写真。
これは、絵に描いたような悪人面が妙に気に入ったから。
ちなみにその人は、昼休憩の場所から私のオムツが視界に入るのが凄く嫌で、そんなとこに干すんじゃねー!とおっ母に怒鳴ったことがあるそうな。

おっ父が写っている2枚は、結婚披露宴での写真なだけあって、なかなか男前に写っている。
ダメんず感も半端ないけど。。

父親の顔を知ることで、会いたいという気持ちが強くなった。

30歳過ぎまでは、たま~に思い出すことがあった程度だった。
会ってみたいなぁ、とか思った時もあったけど、淡い願望の域を出なかったし、本気で会ってみようなんて思ってなかった。
そもそも、消息すら知らないし、会う術なんかないだろう、と。
探す方法を調べる、って発想自体なかった。
その程度だった。
どうでも良かった。つづく